だんだんと秋めいてきました。
少しもの寂しくもなってくるけれど、心地良い外の空気に散歩なんかにも繰り出したくなるようで。
(昨日は暑かったし、今日はなかなかの雨降りでしたが…)

暑さにかまけて、省エネだなんだと言い聞かせてだれていた私もこの季節になると多少元気になります。
あれやりたい、これやりたい、を少しずつですが形にしていこうとしています。
(できてるかは別ですが…)

あわい堂もオープンしてからあっという間に半年が経っていました。ただ場所をつくっただけで特に何もしていないようですがまあのんびりできる本屋としてはそれでいいのかなと思っていたり。
言い訳のようですがけっこう本気でそう思っています。

ところで、うちの屋号に使われている「あわい」とは何か。
この半年の間にいろんな方からよく聞かれましたが、口下手な私はうまく答えられたためしがありません。

端的に答えるとすれば“流動する真髄”かなあと思っていますが、たぶん言われた側はぽかんとしてしまう。自分で言っておきながら私も困惑。

なので、

「“あわい”っていうのは、“あいだ”とか“隙間”とかっていう意味で…まあ、なんかぼやっとした感じです」と、ぼやっとした返事をしています。

ものとものとのあいだ、ひととひととのあいだ。 
漂い、ゆらぎ、余白。
未完の美なんか、そうですね。
日本家屋にある“縁側”的なものという例えを出すと分かりやすいでしょうか。

…と、分断するのでなく、つなぎ、取り持つ、中道的なもの、それがあわいなのですがいちいちここまで説明すると、

“さらっと聞いてみただけなのになんかすんごい語るじゃんこの店主“

なんて思われて足が遠のかれても寂しいので、口頭ではさらっと、ぼやっと答えるようになりましたが、まあこんな意味合いがあるよ、ということをたまにはお伝えしておきます。

そもそも端的に言えるものでないのがあわいなんだと思いますが…悪く言えばどっちつかず?

そういえば、
ハタチそこそこの時にいた職場で
あなたは〇〇についてどう思う?
という上司からの問いに対し、
自分の考えをなんとなく述べた上で、
「まあ、一概には言えませんが…」と付け加えると
それはずるいよー
と言われたことを思い出しました。

いや、だって…そうじゃん…
と思いつつ、社会的にはそういうのは求められてないんだなあと学んだものです。

ただ、私は、これが絶対なんだ、これが正しさなんだ、正義なんだと声高に唱える場面に遭遇すると、うーーん、となります。

芯は持ちつつ、やわらかくありたい。

そのためにはどこかで一度立ち止まる、というのが大事だと思っています。

そう、私が本のある場所を作り、あわい堂と名付けたのはこういうことだったと、書きながら思い出しました。

そして、まとめるの下手くそだということも思い出してここまで書いたことを後悔しています。

ま、「つれづれ」ですから。お許しください。
マイペースにやっていきます。
まだ半年。これからです。
細く長く生き延びて参ります。
どうぞよろしくおねがいします。

0コメント

  • 1000 / 1000